セリア宮坂の優しい日記帳

日記は慣れたものです

原爆投下の日、蝉しぐれのうちに。

約70年前の今日、長崎に原爆が投下された事実に一日想いを馳せました。以前に一度、家族で長崎を訪れたことと重ねてその事実を想い起しています。
平和記念の像、当時のまま時が止まりそして時が経ったあの一本鳥居、原爆資料館の中で見たケロイドや長崎の街の原爆被害の様子・・・すべては資料館の中にも展示されていた時計の針のまま、8月9日午前11時2分に起きたことだと思うと、日本人として未だに信じがたいような事実ばかりです。
人は身に余る事実が起こると、その出来事を受け入れたり認めたりということができなくなると聞きました。私自身、約70年前の戦時中に東京や各地に火の雨が降っていたことですら十分信じがたいというのに、鳥居を吹き飛ばし、ガラス瓶を溶かし、人や動物、生き物という生き物を蒸発させたりする莫大なエネルギーの塊、すべてを滅ぼし尽くす残酷な原爆の投下がされたことは身に余りすぎる事実だと自覚せざるを得ません。
変わらない毎夏の蝉しぐれと緑の自然、夏の儚く切なくも美しい風物詩である花火の序破急の無常のリズム、日本の涼やかな設え文化、そして原爆投下の日や終戦記念日の歴史を経た延長線上にある今の私たちの生活といのち。この「いのち」という響きをとかく彷彿させる機会が多々あるのが夏の時期だとも自覚をしています。
蝉たちとともに始まり、蝉しぐれの美しいいのちに取り巻かれてなお生かされていることへの自覚を更新させられるそんな時期だからこそ、毎夏の度に戦争やいのちの尊さ、そして今生かされているという奇跡的な恵みについて想い巡らしたり、想いを馳せたりしています。それが私にとっての毎夏でもあります。
羽化のために数年の時を経てようやく地上に出てからわずか2週間ほどしかない小さないのちを精一杯燃やすように生きて今年も鳴く蝉たちは、緑の少ない都会の環境であれ、自然あまねく田舎であれ、どんな環境下にあっても逞しく生きているいのちには違いありません。そんな小さくも美しい蝉たちのいのちの声は今日を私を取り巻き、原爆を落とされた今日という日も朝から私の住む街にも蝉たちの声は変わらず降り注ぎました。
尊いいのち、戦争で犠牲になった方々のために絶えず祈っているかのようにも聞こえる蝉しぐれの中で、これから私はいかに自分のいのちを燃やして生きていくか、考えさせられることは多いです。生きとし生けるもの、すべてのいのちに幸あれと心から願うばかりです。